015 東本棚 玩具・鉄道模型その他

東側の本棚にあった玩具、工作部材などです。電極付きのフォーミュラカーのおもちゃは60年代に流行したスロットレーシングカーで、当時は高価であったため、ボーリング場などに設置された有料サーキットコースに大人たちが集まって遊んでいたものです。その他、サイの角のようなものや工作用の木の皮、引伸し機のコンデンサーレンズ、そして立派なショーケースで飾られた蒸気機関車の精密鉄道模型がありました。








印画紙の空箱の中に工作部材などが収納されていました。


電極付きのフォーミュラカーの玩具。


展示台に飾られた蒸気機関車の精密模型。自由形とよばれる架空の機関車で銘板にもK.OTSUJIの文字があるため自作模型と思われます。



020b 工作机上 硝子乾板

工作机の上の棚に硝子乾板が重ねて置いてありました。カレンダーや雪景色を撮影したネガフィルムを元に、硝子に密着転写させてネガ版とポジ版を作成しているようです。どうやら大辻清司は、これらの硝子乾板でネガとポジを重ね、わずかにずらして引き伸ばし機のネガキャリアに入れてプリントを行う「レリーフ写真」を試作していたようです。今となってはあまり聞き慣れないこの暗室での特殊技法は、現在では画像編集ソフト「エンボス」フィルターとしてその名残りがあります。








工作机に積み重ねられていた硝子乾板。


硝子乾板上に密着転写された雪景色の画像。こちらはポジ版です。


こちらはネガ版のバイクの画像。乾板上を引っ掻いたような跡がのこっています。



021 工作机上 引出し II

前回に引き続き、工作机の上の壁面造付け戸棚の引出しです。引出しにはそれぞれラベルがついていて、「ワイヤー」、「非金属 麻ヒモ ゴム足 アスベスト等」、「モーター」、「強電 I パーツ AC・家電」、「ジャンク I」、「弱電 II パーツ スイッチ・ジャック」、「配電具」、「弱電 III パーツ」、「センバン 附属品」、「ホイール」、「強電 II パーツ トランス」、「配電線」、「パイプ」、「HO パーツ」と記されています。








「強電 II パーツ トランス」とラベルがはられている引出し。


「弱電 II パーツ スイッチ・ジャック」

「HO パーツ」鉄道模型用のレール等が収納されています。



030a 工作机上 引出し・工具類

工作机の上の造付け戸棚に引出しが並んでいます。そのうち3つの引出しには「雑ネジ」­「素材 センバン」「弱電 I パーツ」という手書きラベルがついています。中にはさまざまなボルト・ナット類、ボリ­ュームや抵抗器などのやや小さめの電気部品、大辻清司自身が時計旋盤で自作したと思わ­れる多数の金属部品が入っていました。引出しの下にある吊り下げ状の工具置き場にはハ­サミやニッパー、試験管バサミにいたるまでさまざまな用途の「はさむ」動作で使用する­器具がきれいに並べられていました。








「雑ネジ」と手書きのラベルに記された引出し。


中には電気部品などが収納されていました。こちらはボリューム(可変抵抗器)


電子回路基板。ほかの機械から取り出されたものでしょうか。


蒸気機関車模型の車輪と思われる部品もありました。



016c 東本棚 雑誌 III 表4広告

戦時中の『報道写真』および『写真科学』の表4(裏表紙)広告は国威発揚のプロパガン­ダとなっていました。小西六写真工業、富士写真フイルム、オリエンタル写真工業の三社­が広告を出していますが、昭和18年(1943年)になると対戦国の「敵性語」を自主­規制する風潮をうけ、「オリエンタル写真工業」は「東洋写真工業」に社名変更していま­す。敵性語は法律で禁止されたものではなく、あくまで民間での運動だったため、対応す­る日本語表記がない「フィルム」という用語はその後も使われています。








昭和十八年十二月一日発行の報道写真第三巻。戦争国債の購入を呼びかけるプロパガンダ広告です。


この頃から各メーカーの広告も戦時色が強まってきます。「写真も戦闘配置に」小西六写真工業株式会社


「燦たり!戦果 一瞬の確保 不滅の記録」富士写真フィルム株式会社


「生活即戦争 戦力増強へ」小西六写真工業株式会社


敵性語を自主規制する風潮により現在のオリエンタル写真工業は東洋写真工業株式会社に社名変更していました。
「決戦は空だ 君よ今こそ空へ征かう」東洋写真工業株式会社



030c 工作机上 工作機器

大辻清司は本格的な模型工作ができる機器を持っていました。時計旋盤といわれる卓上型­小型旋盤は精密機器の部品を作るものですが、飛行機や鉄道模型マニアが切削金属パーツ­を制作するために購入することも多いものです。回転モーターは別になっており、ベルト­で時計旋盤と連結します。小型卓上ボール盤と合わせて、SL鉄道模型の制作に使ったの­ではないでしょうか。








大辻清司の時計旋盤。小さな金属部品を加工するための旋盤で、模型工作に使われることも多いものです。


回転モーターと旋盤本体をつなぐベルトをかけるためのプーリー(滑車)。


回転モーター。ナショナルの刻印が見えます。



030b 工作机上 情報カード

今となっては珍しい木製ボックスに入ったB6判情報カードです。情報カードは梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書・1969年)によって普及したもので、大辻清司はちょうどこの頃に教鞭をとっていた東京造形大学と桑沢デザイン研究所のための授業資料や研究費などの事務記録、原稿の資料、蔵書リスト、撮影業務の記録などをとっています。桑沢デザインでの授業オリエンテーションのメモらしきものに「いまやメディアを超えての表現にためらうことは何んの理由もないこと。(インターメディア)」と書かれています。








B6版の木箱には情報カードが収納されていました。


中から出てきた情報カードの数々。


予定調和、表象作用といったキーワードが書き出されています。

「その潜在する資質をひきだすとともに、学生が自からの能力を開発し得るような教科が組まれ、指導されている。」



029b 工作机下 機械部品・小物類

工作机の下にあった木箱には小さい機械部品が入っていました。ベル、配管ジョイント、模型のスクリュー、時計の歯車ユニットなどです。修理のためというより、造形がユニークで興味を惹かれたものだけを選んでいるようです。それらをオブジェ的に組み合わせて撮影しようとして、とっておいたのではないでしょうか。とりわけ機械仕掛けで動く部品に惹かれていたようです。








工作机の下にしまってあった木箱。中には小さな部品がつまっていました。


時計の歯車ユニットと思われるゼンマイ仕掛けの装置。


コンパクトフィルムカメラのボディ部分。


鉄道模型用の電動ターンテーブル。以前登場したレイアウトに組み込まれる予定だったのでしょうか?



006b 西壁棚 桑沢デザイン研究所設計課題「大辻邸」

「家 みよた 上原 設計図」と書かれた包みを広げると中から桑沢デザイン研究所の学生による設計課題「大辻邸」設計図が出てきました。大辻清司の家は桑沢デザイン研究所講師時代に同僚であった建築家篠原一男によるもので、「上原通りの住宅(1976)」として知られています。 『この家についての基本プランが三、四十点つくられた。篠原研究室でのコンペが二回と、学生の課題が一回。それに篠原さん自身のプランを含めると、それくらいの贅沢な数である』(大辻清司「住まいができたら」芸術新潮、1976年10月号、再録「大辻清司フォトアーカイブ」武蔵野美術大学美術館・図書館)








「家 みよた 上原 設計図」と手書きの文字が残る包み。


包みをあけてみると「大辻邸」設計課題の図面がたくさん出てきました。


提出された「大辻邸」設計課題の図面の一つ。