006a 西壁棚 レコード

棚にひとまとめに積んであったレコードです。大辻清司は特定のジャンルの音楽にこだわることはなかったようで、流行歌、歌舞伎、演芸、軍歌、民族音楽など様々なレコードがありました。古い写真アルバムのような体裁で本型に綴じられたレコードセットが幾つかありました。ジャケットと異なるレコードが入っているものもあります。「名人長次」は明治23年に新富座(関東大震災で被災して廃座)で演じられた歌舞伎で、当時人気だった三遊亭圓朝の噺をもとにしたものです。その他のレコードは、「南方の音楽」、「名人會寄席の夕」「SWING ALBUM」「Heartily Charming (Rosita Serrano)」などです。Rosita Serrano(1914-1997)はナチスドイツ時代にスターになったチリ人女性ボーカルで、海外公演でユダヤ難民のための寄付活動をしてナチスから追われ、1943年に米国に渡っています。








007a 西壁棚 アポロ11号月着陸時の新聞

「月着陸」と書かれた古い新聞包を広げるとさらに中には「1969年度最初の月着陸 グラフ雑誌 各種 開封2000年」と書かれた古新聞がありました。大辻清司が亡くなる一年前に一度本人が開封して中を確認し、そのことをメモ書きしたのでしょうか。さらに広げると綺麗に保管されたアポロ11号月着陸時の新聞の束がでてきました。翌年1970年の大阪万博開幕を伝える新聞もそこに紛れて一緒に保管されています。中には内外タイムス、夕刊フジといったスポーツ紙、夕刊タブロイド紙もありました。








007b 西壁棚 アポロ11号月着陸時のグラフ誌

古新聞で包まれていた「LIFE」「LIFE 日本版」「アサヒグラフ」「毎日グラフ」といったグラフ誌です。アポロ11号月面着陸(1969)特集号を中心に、国内誌については大阪万博(1970)、ベトナム戦争ソンミ村虐殺事件(1968)の特集号もありました。各家庭にテレビが普及するまで米国発のグラフジャーナリズム黄金時代を築いたLIFEは、週刊誌として1972年まで発行されていました。特にアポロ計画の月面着陸を報じる号では、紙面上での写真の見せ方、レイアウトについて大胆な挑戦が目を見張ります。大辻清司にとって、グラフ誌で展開されていた写真表現の一ジャンルの到達点に対する興味に加え、かつての科学少年として純粋にアポロ計画への憧憬も強かったのではないでしょうか。








LIFEやアサヒグラフ・毎日グラフといった雑誌がこのように古新聞にくるまれた状態で保管されていました。


アポロ11号月面着陸の翌日に発行された米国LIFE誌。


何か月にもわたりアポロ11号特集が組まれています。


国内のグラフ雑誌もアポロ11号月面着陸を大々的に取り上げています。


一方でベトナム戦争が激化していた頃でもあり、アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件の証言が掲載されています。


010b 北壁棚 本・事典・アルバム・地図

北側の壁の本棚に収められていた書籍などです。この壁にあった造り付け棚は大辻清司が亡くなった後で撤去されており、そのときの移動のためか、いくつかの書籍はビニール紐でくくられています。みすず書房「コレクション瀧口修造」はいくつかの巻が欠けています。近代戯曲、演劇論に関する本が多い一方で、音楽CDは少なく、特定のジャンルの音楽に熱中することはなかったようです。その他、登山に使ったと思われる黒部、白馬周辺の国土地理院の地形図、どういう目的で描かれたのかわからないテレビ、AV機器の多機能リモコンのスケッチがありました。








010a 北壁棚 印画紙バットに入っていた写真薬品瓶など

暗室用の印画紙バットに様々な写真関連薬品の瓶が入っていました。この中の一つ、過マンガン酸カリウムは強い酸化剤で危険物ですが、写真初期から現在のフラッシュの用途として、閃光機にのせる閃光粉(マグネシウム粉末)の酸化剤として使われたものです。閃光機は職人技的にカメラのスローシャッターに合わせて手動で引き金を引いて発火同調させたそうです。カメラと電気コードでシンクロできるフラッシュバルブが普及した戦後でも、安価なために営業写真館などではしばらく並行して使われていたそうで、大辻清司も使っていたのかもしれません。








009b 北壁棚 レターケース・模型部品など

スチール製5段レターケースには、上の引き出しから順番に鉛筆手書きラベルとオレンジのエンボスラベルでそれぞれ「ビン」『ネジ』、「下回り」『シタマワリ』、「小物」『コモノ』、(手書きラベルなし)『ウワモノ』、(手書きラベルなし)『モーター』と記されています。一つ一つを開けてみると、中は細かく仕切られており、鉄道模型工作の小ネジ、様々な精密部品が分類されていました。その引出しの木製の仕切りも大辻清司の自作のようです。








009a 北壁棚 撮影用ランプ・ピース缶・ボルトの入ったビンなど

フィルム時代によく使われた写真用照明ランプは岩崎電気の製品名「アイランプ」が一般名称になるほど大きなシェアだったのですが、大辻清司は東芝製のランプに強いこだわりがあったようで、ここ以外で見つかったフラッシュバルブや小型写真電球、一般電球(002参照)などもすべて東芝製でした。小物を整理するためのピース缶、ボルト類の入ったガラス瓶の一群は部屋のあちこちで見つかっていますが、ここにもまとまってありました。








003d 西壁棚 II 小箱・小物・映写機・その他

作業机横の壁棚に収納されているモノです。上皿天秤が二つもあり、フィルム現像、プリントなどでの薬品調合に使っていたのでしょうか。8mm映写機もまた、エルモ社のSP-Aと瓜生精機のCinemax-8 Model2の2台がありました。その他、小西六写真工業のモノクロ印画紙「YOSINO」の箱、演劇の小道具のようなお面、穴あけパンチなどの文具、小型スピーカーなどです。