002 西壁棚 I 玩具・土産物・写真機材・その他

大辻清司の工作机に隣接した壁棚に収められているモノたちです。あらゆるものが一緒になっており、一見整理されているとは言い難い状態ですが、一つ一つを棚から取り出して並べてみると、趣味よく選ばれたデザイン製品のコレクションに見えてしまう不思議な魅力を持っています。アサヒカメラ連載「大辻清司実験室」に掲載された作品「友人から貰ったメキシコとイタリーの土産。なぜか捨てられない時計の内蔵、去年秋に抜けてしまった私の臼歯、その他のセット」(1975)の中に登場する二つの海外の民芸品もここにありました。他にもいろいろなモノの組み合わせで作品が作れそうです。








029a 工作机下 鉱石標本セット

科学教材の鉱石標本セットです。アサヒカメラ連載「大辻清司実験室」(1975)の第一回目最初の写真が「いつも二つ、机の上にある鉱石標本」というタイトルで、机上の白­い紙の上に16番、21番の鉱石標本が置かれているものでした。その二つはこの中にありませんでした。取り出してずっと机の上に置いているうちに、どこかにいってしまった­のでしょう。








003b 西壁棚 ビン

大辻清司の工作机まわりにはピース缶同様にジャムの空き瓶もまた、ボルトやネジを整理する容器として沢山並んでいます。棚にあった瓶にはそれぞれ、細長いボルト、色違いの木ねじ、ワッシャーリング、ゴム足、補強用留め具、さらにはディバイダと呼ばれるコンパスのような製図用具やホビー用品のジオラマ素材用砂利が入っていました。








028 工作机 上・下

大辻清司は愛煙家で、桑沢デザインの授業でも「僕は煙草を吸うから君たちも好きにしたらいいよ」と学生に言うと、ピースを取り出してふかしはじめたという逸話があります。そのピース缶は作業台の周りで小物入れとして活用されており、吸殻が乗ったままの灰皿もありました。その他、作業台下の木箱の中には時計職人が使うヘアバンド型ルーペ、8mm時計旋盤と言われる小さな時計修理部品などを作るための小型精密旋盤の各種アタッチメントがありました。鉄道模型や模型エンジン、自作カメラなどの小物部品制作に使っていたのでしょう。








032 その他 大きなもの

大辻清司自作の鉄道模型レイアウトは幅1.5mほどの大きなもので、線路が大きく立体交差するため遊園地の模型のようにも見えます。その背面にはコントローラーにつなげる電気配線がありました。「なにかが詰まっているガラス瓶」(1975)の写真に登場する不思議な形の大きな瓶は駄菓子屋さんなどにあるもので、今は中にドライフラワーが飾られています。大判インクジェット出力の「梓川電源開発」(1968)は、「大辻清司写真実験室展」(1999, 東京国立近代美術館フィルムセンター)の時に出力されたものでしょうか。








003a 西壁棚 戦前のネガ袋

大辻清司が「戦前のネガ袋」と書いた封筒に入れて保存していたものです。主なものは、手札サイズの焼き増しプリントが入っていたであろうサイズの写真店や現像所の袋ですが、「原板保存袋」と書かれたパラフィン紙の袋は、中判ロールネガを一コマずつカットして入れる袋のようです。一見、薬袋のような現像受付袋には「乾板」「ロール」「パック」の三種類の区別があり、ロールフィルムの現像代が「7銭」と書かれています








031 その他 親交のあった美術家たちの作品

今はもう都心のギャラリーの保管庫にしまい込まれていますが、大辻清司が机の周りに飾っていたという、彼と親交のあった美術家たちの作品です。グラフィック集団として大辻­、石元泰博と三人でキネカリグラフを作成した辻彩子の作品、実験工房のメンバー北代省三(1921-2001)による「ピクセルトランスファー方式による電子版画」、戦後­すぐに雑誌編集の仕事で大辻とかかわり自身の生活困窮時代から長い付き合いであった斎藤義重(1904-2001)の絵画などです。