006c 西壁棚 鉄道模型の電気配線図・フェリーボートのスケッチ

「フィルムホルダーサンプル」と書かれたA4封筒にはさまざまなサイズのネガ保存袋が入っていました。「図集URR」と書かれた書類封筒には鉄道模型レイアウト用の電気配線と思われる回路図などが入っていました。方眼用紙に清書されたものから鉛筆でのメモ書きまで多数あり、大辻清司が電気回路に親しんでいたことがうかがえます。「OK 58.2.28」と赤鉛筆で書かれており、昭和58年(1983年)のもののようです。「フェリーボート」というメモ書きと船のスケッチが描かれたメモも混在しています。中でも興味深いのは、授業準備メモと思われる一枚で「ビジュアルコミュニケーションの分野」というタイトルの下、「非視覚的対象の視覚化」として、幽霊、怪物、呪術、神話、空想機械、星座などがリストされています。








大辻清司自作の鉄道模型レイアウトの電気配線図です。模型車両に電気を送るレールの絶縁位置などが記されています。


「032 その他 大きなもの」に登場した鉄道模型。上の配線図はこの模型のものとおもわれます。


大辻清司による(おそらく架空の)フェリーボートのドローイング。Cタンク型蒸気機関車や二軸貨車を数両積載するようです。


これらの図面やドローイングは、「フィルムホルダー サンプル」とメモ書きのある封筒におさめられていました。



006a 西壁棚 レコード

棚にひとまとめに積んであったレコードです。大辻清司は特定のジャンルの音楽にこだわることはなかったようで、流行歌、歌舞伎、演芸、軍歌、民族音楽など様々なレコードがありました。古い写真アルバムのような体裁で本型に綴じられたレコードセットが幾つかありました。ジャケットと異なるレコードが入っているものもあります。「名人長次」は明治23年に新富座(関東大震災で被災して廃座)で演じられた歌舞伎で、当時人気だった三遊亭圓朝の噺をもとにしたものです。その他のレコードは、「南方の音楽」、「名人會寄席の夕」「SWING ALBUM」「Heartily Charming (Rosita Serrano)」などです。Rosita Serrano(1914-1997)はナチスドイツ時代にスターになったチリ人女性ボーカルで、海外公演でユダヤ難民のための寄付活動をしてナチスから追われ、1943年に米国に渡っています。








007a 西壁棚 アポロ11号月着陸時の新聞

「月着陸」と書かれた古い新聞包を広げるとさらに中には「1969年度最初の月着陸 グラフ雑誌 各種 開封2000年」と書かれた古新聞がありました。大辻清司が亡くなる一年前に一度本人が開封して中を確認し、そのことをメモ書きしたのでしょうか。さらに広げると綺麗に保管されたアポロ11号月着陸時の新聞の束がでてきました。翌年1970年の大阪万博開幕を伝える新聞もそこに紛れて一緒に保管されています。中には内外タイムス、夕刊フジといったスポーツ紙、夕刊タブロイド紙もありました。








007b 西壁棚 アポロ11号月着陸時のグラフ誌

古新聞で包まれていた「LIFE」「LIFE 日本版」「アサヒグラフ」「毎日グラフ」といったグラフ誌です。アポロ11号月面着陸(1969)特集号を中心に、国内誌については大阪万博(1970)、ベトナム戦争ソンミ村虐殺事件(1968)の特集号もありました。各家庭にテレビが普及するまで米国発のグラフジャーナリズム黄金時代を築いたLIFEは、週刊誌として1972年まで発行されていました。特にアポロ計画の月面着陸を報じる号では、紙面上での写真の見せ方、レイアウトについて大胆な挑戦が目を見張ります。大辻清司にとって、グラフ誌で展開されていた写真表現の一ジャンルの到達点に対する興味に加え、かつての科学少年として純粋にアポロ計画への憧憬も強かったのではないでしょうか。








LIFEやアサヒグラフ・毎日グラフといった雑誌がこのように古新聞にくるまれた状態で保管されていました。


アポロ11号月面着陸の翌日に発行された米国LIFE誌。


何か月にもわたりアポロ11号特集が組まれています。


国内のグラフ雑誌もアポロ11号月面着陸を大々的に取り上げています。


一方でベトナム戦争が激化していた頃でもあり、アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件の証言が掲載されています。


010b 北壁棚 本・事典・アルバム・地図

北側の壁の本棚に収められていた書籍などです。この壁にあった造り付け棚は大辻清司が亡くなった後で撤去されており、そのときの移動のためか、いくつかの書籍はビニール紐でくくられています。みすず書房「コレクション瀧口修造」はいくつかの巻が欠けています。近代戯曲、演劇論に関する本が多い一方で、音楽CDは少なく、特定のジャンルの音楽に熱中することはなかったようです。その他、登山に使ったと思われる黒部、白馬周辺の国土地理院の地形図、どういう目的で描かれたのかわからないテレビ、AV機器の多機能リモコンのスケッチがありました。








010a 北壁棚 印画紙バットに入っていた写真薬品瓶など

暗室用の印画紙バットに様々な写真関連薬品の瓶が入っていました。この中の一つ、過マンガン酸カリウムは強い酸化剤で危険物ですが、写真初期から現在のフラッシュの用途として、閃光機にのせる閃光粉(マグネシウム粉末)の酸化剤として使われたものです。閃光機は職人技的にカメラのスローシャッターに合わせて手動で引き金を引いて発火同調させたそうです。カメラと電気コードでシンクロできるフラッシュバルブが普及した戦後でも、安価なために営業写真館などではしばらく並行して使われていたそうで、大辻清司も使っていたのかもしれません。








009b 北壁棚 レターケース・模型部品など

スチール製5段レターケースには、上の引き出しから順番に鉛筆手書きラベルとオレンジのエンボスラベルでそれぞれ「ビン」『ネジ』、「下回り」『シタマワリ』、「小物」『コモノ』、(手書きラベルなし)『ウワモノ』、(手書きラベルなし)『モーター』と記されています。一つ一つを開けてみると、中は細かく仕切られており、鉄道模型工作の小ネジ、様々な精密部品が分類されていました。その引出しの木製の仕切りも大辻清司の自作のようです。








009a 北壁棚 撮影用ランプ・ピース缶・ボルトの入ったビンなど

フィルム時代によく使われた写真用照明ランプは岩崎電気の製品名「アイランプ」が一般名称になるほど大きなシェアだったのですが、大辻清司は東芝製のランプに強いこだわりがあったようで、ここ以外で見つかったフラッシュバルブや小型写真電球、一般電球(002参照)などもすべて東芝製でした。小物を整理するためのピース缶、ボルト類の入ったガラス瓶の一群は部屋のあちこちで見つかっていますが、ここにもまとまってありました。








003d 西壁棚 II 小箱・小物・映写機・その他

作業机横の壁棚に収納されているモノです。上皿天秤が二つもあり、フィルム現像、プリントなどでの薬品調合に使っていたのでしょうか。8mm映写機もまた、エルモ社のSP-Aと瓜生精機のCinemax-8 Model2の2台がありました。その他、小西六写真工業のモノクロ印画紙「YOSINO」の箱、演劇の小道具のようなお面、穴あけパンチなどの文具、小型スピーカーなどです。








016b 東本棚 雑誌 II / East bookshelf : Magazine II

若き大辻清司が新しい写真表現と出会い学ぶことになった写真雑誌「フォトタイムス」「報道写真」「写真科学」などのグラビア、広告、記事ページです。欧米の写真動向を紹介する瀧口修造の記事や前衛的なフォトモンタージュ、洗練されたスナップを紹介していた「フォトタイムス」は太平洋戦争開戦後には「報道写真」となり、美術色がすっかり消えて科学技術力や国力を誇示する戦闘機や軍事工場などを紹介する雑誌となります。美術表現としての写真と、科学・工学的視点でモノや光景を見せる写真、そのどちらも十代の大辻清司の心を惹きつけ、強い影響を与えたことでしょう。








‎004 西壁棚 III シンナー・電気電子工作・暗室用品

壁棚に収められた木箱の中には、ラッカーやシンナーがまとめられていました。続いて、いくつかあったダンボール箱を開けると、自作鉄道模型のコントローラー、電子工作機器、スイッチング回路、大きめのモーターが入っていました。いろいろな目的に必要だったようで、電源用変圧器とAC/DCコンバーターは自作品も含めて複数あります。別のダンボールには暗室用品がまとめられており、恒温ヒーター、メスカップ、35mmフィルムクリップ、4X5シートフィルムの水洗用バスケットが入っていました。








003c 西壁棚 II 小物・その他

小さい文房具やバッジ、ジッポライターに混じって、羽子板やパイプなど今となっては珍しいものがありました。「長嶋」「中西」と名前が刻まれたものはベーゴマです。鋳鉄を型に流して作られたベーゴマには、人気プロ野球選手の名前が刻印されているのが一般的だったそうです。折り曲げられた筑波大学教授時代の名刺も出てきました。








002 西壁棚 I 玩具・土産物・写真機材・その他

大辻清司の工作机に隣接した壁棚に収められているモノたちです。あらゆるものが一緒になっており、一見整理されているとは言い難い状態ですが、一つ一つを棚から取り出して並べてみると、趣味よく選ばれたデザイン製品のコレクションに見えてしまう不思議な魅力を持っています。アサヒカメラ連載「大辻清司実験室」に掲載された作品「友人から貰ったメキシコとイタリーの土産。なぜか捨てられない時計の内蔵、去年秋に抜けてしまった私の臼歯、その他のセット」(1975)の中に登場する二つの海外の民芸品もここにありました。他にもいろいろなモノの組み合わせで作品が作れそうです。








029a 工作机下 鉱石標本セット

科学教材の鉱石標本セットです。アサヒカメラ連載「大辻清司実験室」(1975)の第一回目最初の写真が「いつも二つ、机の上にある鉱石標本」というタイトルで、机上の白­い紙の上に16番、21番の鉱石標本が置かれているものでした。その二つはこの中にありませんでした。取り出してずっと机の上に置いているうちに、どこかにいってしまった­のでしょう。








003b 西壁棚 ビン

大辻清司の工作机まわりにはピース缶同様にジャムの空き瓶もまた、ボルトやネジを整理する容器として沢山並んでいます。棚にあった瓶にはそれぞれ、細長いボルト、色違いの木ねじ、ワッシャーリング、ゴム足、補強用留め具、さらにはディバイダと呼ばれるコンパスのような製図用具やホビー用品のジオラマ素材用砂利が入っていました。








028 工作机 上・下

大辻清司は愛煙家で、桑沢デザインの授業でも「僕は煙草を吸うから君たちも好きにしたらいいよ」と学生に言うと、ピースを取り出してふかしはじめたという逸話があります。そのピース缶は作業台の周りで小物入れとして活用されており、吸殻が乗ったままの灰皿もありました。その他、作業台下の木箱の中には時計職人が使うヘアバンド型ルーペ、8mm時計旋盤と言われる小さな時計修理部品などを作るための小型精密旋盤の各種アタッチメントがありました。鉄道模型や模型エンジン、自作カメラなどの小物部品制作に使っていたのでしょう。








032 その他 大きなもの

大辻清司自作の鉄道模型レイアウトは幅1.5mほどの大きなもので、線路が大きく立体交差するため遊園地の模型のようにも見えます。その背面にはコントローラーにつなげる電気配線がありました。「なにかが詰まっているガラス瓶」(1975)の写真に登場する不思議な形の大きな瓶は駄菓子屋さんなどにあるもので、今は中にドライフラワーが飾られています。大判インクジェット出力の「梓川電源開発」(1968)は、「大辻清司写真実験室展」(1999, 東京国立近代美術館フィルムセンター)の時に出力されたものでしょうか。








003a 西壁棚 戦前のネガ袋

大辻清司が「戦前のネガ袋」と書いた封筒に入れて保存していたものです。主なものは、手札サイズの焼き増しプリントが入っていたであろうサイズの写真店や現像所の袋ですが、「原板保存袋」と書かれたパラフィン紙の袋は、中判ロールネガを一コマずつカットして入れる袋のようです。一見、薬袋のような現像受付袋には「乾板」「ロール」「パック」の三種類の区別があり、ロールフィルムの現像代が「7銭」と書かれています








031 その他 親交のあった美術家たちの作品

今はもう都心のギャラリーの保管庫にしまい込まれていますが、大辻清司が机の周りに飾っていたという、彼と親交のあった美術家たちの作品です。グラフィック集団として大辻­、石元泰博と三人でキネカリグラフを作成した辻彩子の作品、実験工房のメンバー北代省三(1921-2001)による「ピクセルトランスファー方式による電子版画」、戦後­すぐに雑誌編集の仕事で大辻とかかわり自身の生活困窮時代から長い付き合いであった斎藤義重(1904-2001)の絵画などです。








026 工作机下 木箱 I / Workbench : Below Wooden box Ⅰ

作業机の下には回転電動工具のアクセサリー、旋盤部品、砥石のようなもの、模型用ラッカー、エッチングやメッキの溶液がありました。「MOTO TOOL」とラベルが貼られた木箱には、小型電動工具用の研磨ブラシやドリルのアタッチメントが入っていました。1935年に米国ドレメル社が発売しホビーファンの必需品となった「モートツール」のキットのようです。モートツール本体はここにはありませんでした。








016a 東本棚 雑誌Ⅰ / East bookshelf : Magazie I

太平洋戦争前夜の1940年、17歳の大辻清司が古本屋で買った「フォトタイムス」。瀧口修造や前衛写真との出会いです。「フォトタイムス」は41年に戦時下雑誌統合令により「報道写真」へと変わり、表紙には最新機器と若き兵士たち、ガスマスクを手にした女性などが登場します。ミツバチが表紙の「写真科学」にも「撃ちてし止まむ!」の文字があります。

During and after the Pacific War 1940, Ōtsuji Kiyoji bought 'Photo Times' from secoundhand book store when he was seventeen. This is first tauch with Shuzou Takiguchi and avant‐garde photograph. 'Photo Times' changed themselfes to news photograph because of policy 1941. New weapom, young soldiers and ladies wirh gasmask showed the magazines cover. The magazine 'photo sience' typed 'Uchiteshi Yaman (Never give up untill win)'letters with a honey bee.






027 工作机上 / Workbench : Top Ⅰ

大辻清司実験室の工作机の上には大小さまざまな工具類があります。自作の専用箱で几帳面に整理されているものがある一方で、銀玉鉄砲の玉や船のミニ模型など、意外なものも混ざっています。






008 北壁棚 木製引出し / North wall : Wooden shelf

棚の上に置かれた木製五段袖引き出しを一つ一つ開けていくと、一番上の引き出しから、小瓶とフィルムケースで小分け整理された釘類、キット工具、紐とコード止め、ぴったり充填された缶に詰められた電気パーツ、そして最後の引き出しは空っぽでした。横にはペアになった部品、ひとまとめになった取っ手類がありました。

Open five drawer one by one, the first drawer have pint bottles and film cases which is nails in. And there are also kits, strings, electrical parts. The last drawer was empty. There is pare of parts and gathered handles beside of the wooden shelf.






023 024 防湿庫 / North wall : Dry cabinet

今も防湿庫で眠っている大辻清司が愛用したカメラとレンズです。小型ビューカメラから昔のトイカメラ、さらにレトロなビンデージカメラに、改造品と思われるものや一風変わった外見の交換レンズまで収められています。

Ōtsuji Kiyoji's favarite cameras and lens are still sat on his dry cabinet. There are small view camera, old toy camera, retro style vintage camera, recreationed lens and stramge looks lens.